言葉。
当たり前のことを言うかもしれないけど、いまさら気づいたこと。
言葉は、感情的なもんだと思っていたけど、僕らが今使っている言葉はとんでもなく複雑な論理構造を持っている。
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「あの妙に愛想が良くて尻尾振ってついてくるやつにいつも自分のそばからはなれてほしくないから首根っこに僕の体の高さくらいある細いものをくくりつけておこう」
言葉が定義されていない状態。
「犬をペットにするので鎖つけておこう」
情報量がかなり減る。
言葉が定義されて、複雑な物事が単純に表現できるようになる。
プログラムの言語構造も同じで、複雑なことは関数化して簡単にする。そうすれば、複雑な概念を簡単に組み合わせて、もっと複雑な物を作れる。
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プログラムでは当たり前だと思っていたことが、普段の話す言葉にも言えるということが自分には新鮮だった。
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これに関しても、適当にかっこいい言葉をつけてかっこつけたい人がいるんじゃないか?なんて思っていたけど、単純化して次の複雑な構造をうむ生み出すためには、必然だったんだとわかる。
「かっこつけるな」なんて考え、僕は愚かだった。(もちろんかっこつけるためや感情的に生み出される言葉もある、そういうのは僕は大好きだから否定するわけじゃない)
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「僕とあなたの間にいまどんな前提があるか」
親とパソコンの話するときは苦労する。これはまだ複雑な構造を相手が整理しきれていないからだ。
しかし「僕」側は複雑な構造にあわせることはできても、高い次元の構造にあわせることはできない。
言葉を知らないというのは、いろんな前提を持っている人とコミュニケーションをとろうとするとき、「かなり」不利になる。
勉強する動機が生まれる。
なぜなら、上手にコミュニケーションをしたいから。
相手の論理構造がどうなっているかをコミュニケーションの過程で知ることができれば、わからないことを簡単に質問できるし、逆にわかるように伝えることができる。
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昨日のタイトル 脳⇒能でした。恥ずかしいわ。言葉を使いきれていないぞ。