昨日のコメントで色々考える。
>僕の持つ外部への信用を分散して管理することが、これからの流れだと思う。
これこそが、僕の信用になるわけで、
カード会社が裏で連絡しあって、個人の信用をまとめて管理しあっている。カードというのは信用経験値のかたまりで、大きなローンを組めば組むほど信用が蓄積していく。
実際学生時代のうちに、50万のキャッシングは結構容易に可能となる。
個人の信用は、そうやって蓄積したものが集約されていくのが正しい形で、ネット上でそういった社会構造になれば、僕らの行動自体がまた変容していく。
信用は分散すべき。
だが、その信用を纏め上げるシステムが必ず無ければならない。
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ネットでの行動はいつでも破棄できるとか、匿名で逃げることが可能だとおもいがちだけれども、こうやって自分の思ったことを書いた時点で、消しゴムじゃ消えない「僕」が広がっていく。むしろ、オモチャ箱から出てきた「キンケシ」が消しゴムだと思い込んで鉛筆の筆記を消そうとして、炭素がノート一面に拡散していくことと似ている。つまり、キンケシは消しゴムじゃない。ネット上では現象が拡散していく。
googleのキャッシュ、Webarchiveのログなんかは、僕が行動した証明でもあるし、消したい過去などもそこには消せないまま点在する。
じゃあ、ネット上のあなたの行動全てがそうやって拡散されることが当然という通念が広まればいい。
そうなれば、偉大なるネットという逃げ道は、残酷な袋小路になる。
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僕の自由は、世界のだれかの不自由である。
そこに今感じているモラルとは異なったものがネットのコミュニティに形成されるはずだし、今モラルが破壊されていると巷で言われている部分に関しては、その過渡期であるとも受け取れる。
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他人を傷つける言葉は、誰かを癒す言葉であって、その分化が進むことが、ネットの目指すべき道だと思う。
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反社会的な言葉かもしれないが、本来地理的な理由、僕と言う物質がどこかにいることで起こりうる現象、で妥協せざるを得なかった(地理的なコミュニティは決してなくならないし、生身の人間のコミュニケーションも必ず必要だが。)部分を緩和できるし、興味が合致した人々が新しい価値を生み出す機会がある。
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個人を要素とすれば、そういったコミュニティも大局的には要素であって、コミュニティ自信が強いアイデンティティを持つことで、要素要素が連携したときの力が莫大なものになるんじゃないか。
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そういう社会を僕は見たいと思うし、それは僕が死ぬまでに起こりうることだと思っているから、こう述べるのだ。
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そういったものを見据えた上で行動することに僕は価値を見出すし、生身の人間であることと、バーチャルと言われる社会(これは将来バーチャルではなくなる)を切り分けるに値することだと、本気で思っている。
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人類の半分、いや、1/4、1/8でもいい。1/一億ではだめだ。
その人たちが、それぞれが互いに影響しあって、思い思いのインフラを整備することに躍起になれば、そうとう熱い未来があると思うのだ。