昨日まで本職のほうで仕事納めでした。
昨日のスピリタスが若干残ったまま。
仕事上がりに尊敬する先輩を無理やり連れ出して、
新宿某ゴールデンシティとか、おねぇちゃんのお店(健康的なほうです、って説得力ないですけど…)とかで飲んだくれる。
いろいろ抱えてすねに傷のひとつやふたつ、みんな持っているわけで。
そんなことをこれから先のなにに役立てるのかってちゃんと考えられているかな。なんて思ったんです。
ウンコを金塊と思えるかってことですね。
戦う相手は目の前にはいなくて、それは鏡の中にしかいないので。
考えって進めていけば進めていくほど具体性を欠いて、最後は
「宇宙とは──」
みたいな、スペーシーなところに行って、そこからじゃあ自分は何ができるみたいなちっぽけなところにまた戻ってきて。
あ、宇宙の収縮ってそういうことかな?
とか、世界の原体験を感じた気になったりね。
*
いっぱい映画とかでかっこいいセリフを聞いてきたけど、その本質を理解していたかなとか。
結局すねの傷がそういうこと教えてくれたりするなって。
少なくとも、誰も傷つきたくないし、そうするために僕らはこの社会で去勢されて生きていくことしかできなくて。
だから、殺された僕らの勢いを何に向ければいいのだろうかね。
*
とにかく──
人にえらそうにものを言える立場でも、器でもないのだけど。
もっと言葉に耳を傾ければ、いつか僕の中の世界の定義が書き換わって、CDの盤面の傷くらいには輝きたいなんて思うのです。
自分がこうしたいって、意見を譲りたくない人は、そこを最後まで守っていけばいい。
僕はそのただひとつの太い綱のよき理解者でいれるのかね。
人に耳を貸せる人は、意見をだれかとぶつけてともに成長していけばいい。
僕はその成長の助けになって自分の成長も考えられるかね。
一番いやなのは、だれかのせいにしたり、人前で作り笑顔を絶やさないこと。
結局、僕を動機付けているのは、技術でも知識でも権力でもなくて
他人のモチベーションだけだと思う。
僕も一応現代人の端くれだから、生臭いことにはめっぽう疎いほうだけど、
この人といるとなんか楽しい。とか、この人といるとなんかやる気が出ない。とか。
そういうことは、いろんな人と話をしたりする過程の中で、ぼんやりとわかってきたんだよな。
愛のある攻撃と、愛のない攻撃も区別がつくようになってきた気がする。
道で小石にひっかかって転んだとき
「誰だこの道路をつくったのは!でてこい」
よりも
「この石がわるい!こんなところに石があるから!ちくしょー!」
のほうがよっぽどたちがいい。
人生は演じること。
人生は悩み続けること。
人生は楽しいこと。
人生は悲しいこと。
人生はよくわかんないけど時間が経過すること。(モモの世界みたいにね、よくわかんないってのは、誰かの時間の搾取だ)
いろんなことが言えると思うけど、
無限の考え方の選択肢の中で、どれかを選んだなら
しばらくはその考え方の本質がわかるまで馬鹿になればいい。
馬鹿になれないのなら、もっと人に優しくなって学んでいけばいい。
良き役者は、死ぬまで演じ続けることができるだろうな。
映画のプレステージみたいに。
おおかた僕らは良き役者でもないから、
ぼろくその演技で見透かされているのに、無関心な社会に見透かされていることすら告げられずに生活が続いていくんだろう。
悲しいよね、それはそれで。
幸せというのかも知れんけど。
*
ひどいけど、
今年の最後の書き込み。
まあ、こんなところで吐き出したんだから。
もう忘れましょう。
「(酔っ払って)俺、どうやって帰ったんだっけ…覚えてない」
「帰るところなんてあったのかい?」
良いお年をーーー!!!